一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄
チャップリンが映画「殺人狂時代」で言ったとされるこの言葉。(見てないからわからない)
僕は吉川英治の三国志で同じような文章を読んで知っていた。
大量殺戮者が英雄とは思わないが、「数」が力の指標になる点は納得する。
僕は広告代理店の営業マン時代、新聞や雑誌の発行部数を単純な差別化要因としてよく利用した。
雑誌などは回読率(一冊を何人もが読む)とか返本率(書店置きは時期が来れば回収されるので発行部数から返本されて帰ってきた数を引いたらまぁ実際の部数の半分以下ってこともあったけど・・・)もあるし、発行部数は公称で、僕が辞めるころ(今から20年前)には印刷部数表示の動きが始まっていたり、携帯料金ほどではないが、「数字」は角度を変えて化粧される運命にあった。
「この本は部数こそ家庭画報に及びませんが、主婦間の回読率で上回ってますし、返本率は意外と低いんですよ」
意図的にトーク内容を変え成約に繋げたりしていた。
売ない雑誌の営業をしていた時代が懐かしいなぁ。
ユーチューバーはファンが増えると収入が入る。
マルチ商法は子が増えれば親が儲かる。
女優さんにCM依頼をした企業は、その女優さんが出演するドラマのスポンサーになる。視聴者を引き連れてくるだろう期待がそこにある。
実際にはそれほど影響がなくても、スポンサー営業はしやすくなる。世の中の風潮がそうなれば、さらに営業マンの見方になる。
Twitterで「10万いいね」を獲得する素人はたまにいる。そんな時代になってしまうと、数そのものが激減してしまった「雑誌」たちはどんどん廃刊の運命となる始末。
数を取るための指南セミナーがまた流行ったりする。
たとえ世間の評価が低くても、1万のファンがいるミュージシャンはファンクラブだけで数千万円は手に入る。
考えれば考えるほど、
ひとは永遠に「数」に敏感になるように出来ているのかもしれない。