女性別視
今回は、今日が国際女性デーと言うこともあり、言葉というより、文字について・・・
僕は、ずいぶん長い間(オリンピック・パラリンピック大会組織員会前会長発言問題くらいまで)、【じょせいべっし】を、特に意識することなく、字は「女性別視」だと思っていた。
それが、なんということだろう。侮蔑の「蔑」。なんでこんな字を当てたのか。本当にさげすんでいたのか、今となっては甚だ疑問だ。だってさげすんでいたら、触らないでしょ。結婚なんてしないでしょ。「かつて女性は太陽だった」とかなんとかこそばくなるようなこと言っといて・・・
奈良・平安時代は家族内の地位は男性より女性の方が高かったそうだ。結婚後も男性が女性の家に通うのが一般的だったし、昼間は男性も女性もそれぞれの家で農業やその他の仕事をしていたので一つ屋根の下で過ごせるのが夜のわずかな時間だけだった。
鎌倉・室町時代、武士社会の成立は女性が男性の家に入る結婚形式を生み女性の地位が低くなったとされている。
江戸時代は固定化された身分制度の社会。武家と商家、農家で女性に求められることが大きく違った時代と言える。
武家の女性は武士になれない。生まれた時点で男性より地位が劣っていたことになる。武家社会では男性は一門の誇りと国の威信を守り、女性は主人の武士道精神を貫くために家の中で家族の誇りを守った。
商家では女性は家族企業を守るための働き手であり、武家の使用人になれば社会的地位も上がるため両親は我が娘に昇進の希望を託することもあったという。
農家では農業を営むことが重要だったため男女はともに力を合わせた。農家の男女は奈良・平安時代のようであり、商家は鎌倉時代と似ているという。
江戸時代、侍の世界は男の世界。江戸という時代が重視したのが侍社会であるならそこに女性の出番は無かったのだろう。
古代は、生物としての本能から女性は子育て、家事に向いており、男は魚狩りと芝刈りに向いていたと言われている。そうして、分野こそ違えども、男女は共に働いた。
どちらかというと「領地意識」が高いのが男性だったため、男は外、女は内というイメージが日本社会の根底を作ったのかもしれない。
男女の役割分担は社会の期待に大きく左右される。
女性に期待しない社会を作り、「女性は社会に向いていない」という世間の偏見が長く続いたため、女性への「投資」と「支持」はますます減っていった。
歴史的にみるとざっくりこんなところだろう。
それにしても「蔑視」はないな。言葉がおかしい。会議ではすぐ「女性の視点がほしい」とか言うじゃない。持論を通して悪いが、「別視」にしてから、社会進出の議論を始めてもいいのではないだろうか。