阪神間モダニズムという言葉は、文化プロデューサー河内厚郎氏が名付け親です。
フランス語の「モデルニテ=モダニズム」が意味するのは、過去の栄光を新しいデザインで甦らせること。阪神間ではそれが単なる舶来趣味ではなく、和洋折衷を大切にしながら独自の文化を育みました。
宝塚歌劇が百人一首から芸名を採用し、谷崎潤一郎の『細雪』が「昭和の源氏物語」として売り出されたのもその一例です。昭和8年には日本初のファッション雑誌が芦屋で創刊され、いわゆる「芦屋マダム」に象徴される消費文化が広がりました。夙川や芦屋川沿いには遠藤周作、井上靖、村上春樹ら多くの文化人が暮らし、文学や思想を生み出してきました。
阪神間の魅力は、高級志向だけでなく、生協やタウン誌といった生活の場からも美学が育まれた点にあります。